座長挨拶
世界標準の戦略的バイオバンクとは?

中江 裕樹
JMAC/CIBER

 ヒトのサンプルを使った研究が危機に瀕している。Amgenの研究によれば、がんの基礎研究に関する53の論文について再現性が確認できたのは、たったの6報だったと報告されている(29 March 2012, Vol.483, Nature, 531-533)。驚くべきことに85%が再現できないという結果である。再現できない理由はいくつかあるが、がん研究のみならず、バイオマーカーの研究全般に共通するヒトのサンプルを使った研究のデザインの問題を指摘していると考えることができる。
 バイオマーカーの開発には、実用化前に必ずヒトを対象とした研究を実施しなければならないフェーズが訪れる。その時、系統が管理されている実験動物とは異なり、ヒトを対象にマーカー開発を実施しようとすれば、地域や民族差の影響を乗り越えられるだけの地域からサンプルを調達することが不可欠である。一方で現在は、いくつかの病院からサンプルを集め、いわばローカルなサンプルで実験を行っている場合が多い。本来であれば、この目的のため、世界中からサンプルを集める、すなわちグローバルサンプルでの検証が不可欠であるが、実現のためには膨大な時間と、莫大な費用を要し、単独の製薬メーカーが賄えるレベルではない。
 もう1つの問題は、サンプルの品質である。臨床検査の測定値の不確かさの約6割は、サンプルのばらつきであると言われている。そのため、グローバルサンプルが利用できるようになったとして、その品質にばらつきがあるという懸念はいまだ払しょくできていない。品質のばらつきを乗り越えるためには、多くの国々で保管されているサンプルやデータの品質についての情報を、利用者が自分の計画する研究の目的に合っているのかどうかを判断するための情報が必要である。そのためには、世界各国のバイオバンクが、共通の認識で開発された手順で検体を取り扱い、同程度の精度で解析したデータを共有する必要がある。
 これらの問題を解決するためには、標準化によって、共通の認識で構築された世界のバイオバンク、その国際的なネットワークを戦略的に構築していく必要がある。実際、国際標準を開発しているISOでも標準化が進んでおり、バイオバンクの認定標準である国際標準ISO 20387は、ISO/TC 276/WG 2で集中的に議論され、セミナーの当日にはすでに出版されている見込みである。
 ローカルサンプルからグローバルサンプルへ、この潮流に乗ることができなければ、日本でのバイオマーカー開発や創薬研究が時代遅れになるばかりではなく、日本人の遺伝的なバックグラウンドが、新薬開発に反映されず、日本人という集団がプレシジョンメディシンから取り残される事態にも陥りかねない。これを防ぐためには、戦略的にバイオバンクをデザインし、国際的な検索システムへの接続や、認定制度を活用した品質の管理が不可欠になるであろう。日本のバイオバンクは、世界標準の戦略的なバイオバンクに生まれ変わる必要に迫られている。

1986年4月、株式会社東芝入社後、1993年学位取得
1994年6月よりドイツ・ザールランド大学・医学部へ在職留学
1999年5月、株式会社日立製作所に勤務
2003年12月、代表取締役CEOとして株式会社カナレッジ設立
2006年より株式会社メディビックに入社、2007年3月、同社常務取締役就任
2009年7月より2013年10月まで、株式会社ジェネティックラボ取締役
2008年9月、バイオビジネスソリューションズ株式会社を設立、代表取締役社長就任、現職。
2007年10月19日 任意団体を経て、2008年10月24日 特定非営利活動法人バイオチップコンソーシアム設立時より関与、現在事務局長と研究部長を兼務、バイオ分野の標準化を推進している。


座長挨拶

小林 博幸
アクセリードドラッグディスカバリーパートナーズ株式会社/CIBER

 ISBER2018会議に参加する機会を頂いた。各国、バイオバンクの組織運用レベルはそれぞれであったが、試料の活用方法、ステークホルダーの選別などについてリードしている国(組織)は見当たらない印象を受けた。バイオバンク試料の保管数、ダイバーシティー、より良い保存状態の確保などフォーカスされる傾向にあったが、より健やかな生活に貢献するために必要な議論はそこだけであろうか。また今回の会議では、ベンチャーキャピタリストからの取組み紹介や、パネルディスカッションが開催された。諸外国の参加者からの質問・要望がバイオバンクを運用する資金の集め方などfund面での課題に直面しており、バイオバンキングの目的を再認識するステージにあることが考えさせられた。
 企業研究者としてポストゲノム時代のヒト試料を中心としたバイオバンクの利活用について考えるとき、ヒトのQOLを上昇させるためには競争領域だけではなく、産官学などで連携しながらさらに踏み込んだ非競争領域での協業と、そこからinnovationを生み出し社会に貢献するための枠組みが必要であることに気づく。そのためにも貴重な生体試料やそれに付随するデータに関するステークホルダー(基礎研究、治療、市場調査、創薬、再生など)のニーズをより明確にし、ゴールを見据えた取組みが必要である。
 今回のJASISコンファレンスでは、バイオバンクに関心を持つ日本のステークホルダーとして、特にバイオバンク利用者側の視点で、今後どのような行動が可能なのかを議論したい。

1999年 北海道大学大学院薬学部 博士課程終了
1999年 Yale University Post-doctoral fellowship
2001年 武田薬品工業株式会社 医薬研究本部
2015年 ISO/TC276 国内委員、Expert(現在にいたる)
2017年 Axcelead Drug Discovery Partners, Inc. (現在にいたる)
2018年 CIBER(現在にいたる)


不凍タンパク質を活用した超省エネ型細胞保存技術の創生
Ultra low-cost cell-preservation method created by using antifreeze protein

津田 栄
産業技術総合研究所/北海道大学

 不凍タンパク質 (Antifreeze Protein:AFP) は寒冷地に生息する動植物が産生する生体保護物質である。AFPには凍結寸前に発生する氷の核に結合して成長を止める機能(氷結晶結合機能)と非凍結低温下で脂質二重膜に結合して細胞の寿命を延ばす機能(細胞延命機能)が認められている。前者の機能はマイナス2~3℃の凍結温度下で充分に発揮されるため,液体窒素を使わずに細胞を凍結保存する新技術をもたらすと期待されている。但し,通常のAFPには細胞膜透過性が無いため,現状では細胞の外側の氷晶形成のみを阻害する緩慢凍結法に適用が可能である。一方,膜透過型ペプチドを付加したAFPは細胞膜の外側と内側の両方の氷晶形成を阻害する為緩慢凍結法とガラス化法の両方に適用が可能と考えられている。
さらに,AFPには濃度が約10 mg/mLのときにウシ受精卵やヒト培養細胞株の生存率を改善する機能が認められている。例えば,AFPI型とAFPIII型はラット膵島細胞を4℃下で10日間生存させる能力を有している。AFPI型を使って4℃下で10日間保存したウシ黒毛和種の受精卵から仔ウシが誕生している。講演では,実験に用いた4種類のAFPの組成や構造解析の結果を基にして,AFPが細胞保護効果をもたらすメカニズムとその省エネ型保存技術の詳細について説明する。

1988年 北海道大学大学院理学研究科博士課程中退,同年 北海道大学教務技官.
1992年 理学博士. 1993年 アルバータ州立大学医学部ポスドク,
1994年 日本電子技術顧問.1995年 北海道工業技術研究所主任研究官,
2001年 産業技術総合研究所 研究グループ長.2003年 北海道大学教授(現職)。
2013年 上級主任研究員(現職).


ドローンの利活用について
Utilization of unmanned aerial vehicles

貞森 拓磨
広島大学 大学院医歯薬保健学研究科 救急集中治療医学

 近年無人航空機の利活用が活発となっている。無人航空機の機能である飛行・撮影・運搬を組み合わせることにより、これまで多大なリソースを投入してきたことが、比較的安価に、かつ安全にできる可能性が出てきた。広島大学救急集中治療医学教室では平成26年8月の広島市で発生した土砂災害以降、災害時における無人航空機利活用の研究を行ってきた。この研究を応用し、平成29年より緊急検体搬送を無人航空機に代替させる研究を行っている。
 離島や山間部など医療過疎地域において往診時や老健施設などで急患が発生したとき、血液検体等を採取後すぐに検査ができない場合、検査可能な施設へ検体を搬送しなければならない。通常は車による検体の搬送が主であるが、無人航空機で検体を運搬できれば人的移動を省略でき、限られた医療リソースを再配分できると考える。本研究では携帯電話回線を使用した映像伝送、動態管理、機体制御などの技術を組み合わせ、安全に無人航空機を目視外飛行させることを目標とする。また、検体が飛散しないよう専用容器の開発も行う。また、無人航空機のその他の利活用を紹介する。

福岡大学 医学部 医学科 卒業 (平成15年)
広島大学大学院医歯薬保健学研究科 応用生命科学部門救急医学 医学博士(平成25年)
平成21年 4月 広島大学病院 集中治療部 病院助教
  28年10月 東京電機大学サイバーセキュリティ研究所研究員
  29年 4月 広島大学 救急集中治療医学 客員准教授
  30年 4月 広島市消防局警防部救急課救急救命士養成所 教授


日本人ゲノム標準物質を活用したバイオバンキング
Japanese genome reference standards for better biobanking

山中 康成
国立研究開発法人 理化学研究所/CIBER

 創薬や診断技術開発を目指す国際的な臨床研究のため、バイオバンクに検体の数だけではなくその質の確保が求められるようになった。個々の検体の特徴付けにおいて重要な項目のひとつはゲノムデータ・情報であり、それは正確な病態や病因(がん遺伝子など)や性質(HLA遺伝子など)を反映する。米国では次世代シーケンサーを用いたゲノム解析の精度管理に、ゲノム配列が決定された国立標準技術研究所の標準物質が活用されるようになり、日本においても同様の取り組みが求められている。一方、均質かつ安定した標準物質を検体とともにバイオバンクに保管することは検体の保管状態をモニターすることを可能にし、さらに、国内外で共通の標準物質を用いればデータの互換性が確保され、バイオバンク間の検体共有も可能になる。よって、バイオバンキングで検体の採取、処理、特徴付け、保管、配布を進めるに際し、検体の特徴付けと保管の段階でゲノム標準物質を活用することは検体の価値を高める。これまでに産業技術総合研究所・理化学研究所・バイオチップコンソーシアムは共同でゲノム標準物質の開発を進めてきた。日本組織適合性学会が集計した日本人集団におけるHLAハプロタイプ頻度に基づいた日本人ゲノム標準物質を近々に公開する予定である。この取り組みを通じて、臨床研究を行う個々のバイオバンクや骨髄バンクなど日本のバイオバンクの更なる発展のために広く貢献したい。

京都大学医学部卒業、医学博士。小児科学会認定専門医。
1995年から国立精神・神経センター等で主に遺伝性疾患や神経難病の診療に従事。
2005年から京都大学医学部附属病院、米国スクリプス研究所等で疾患の遺伝子解析を行う。
2013年から現職にて遺伝子関連検査法の研究開発と質確保に取り組む。


体外診断用医薬品におけるバイオバンク利用の手引き
How to use Biobanks in In-vitro Diagnostic R&D

内山 浩之
一般社団法人 日本臨床検査薬協会/日水製薬株式会社/CIBER

 2017年より、体外診断用医薬品の承認申請データにおけるバイオバンク試料の利用が本格的に始まった。現在、利用に際しては、試料の品質の確認、試料利用の際の倫理的な対応などについて、利用企業が自ら確認することとしている。
一方、バイオバンク側においても、利用ニーズの高まりを受けて、利用促進に向けた環境整備が進んでおり、今後の利用活性化に向けて、利用する側と提供する側の情報共有をさらに促進する必要があると考える。
 日本臨床検査薬協会は、現在体外診断用医薬品におけるバイオバンク利用に必要とされる、「試料の品質確認」、「検体利用に向けた倫理対応」及び「試料に紐付く臨床情報」に関する情報を取りまとめている。さらに取りまとめた情報を利用者側のニーズとして、バイオバンク側に提供することで利用促進を進めたいと考えている。今回は取組の概要を紹介し、stakeholder側のニーズに合わせたバイオバンキングについて提案したい。

1987年(昭和62年)3月:東京薬科大学薬学部薬学科 卒業
1987年(昭和62年)4月:日水製薬株式会社入社
2005年(平成18年)3月:日本臨床検査薬協会 法規委員会副委員長就任
2005年(平成18年)4月:同 法規委員会臨床性能試験ガイドライン部会会長就任
2015年(平成27年)10月:同 日本臨床検査薬協会検体バンク創設ワーキングリーダー就任
2018年(平成30年)4月:日本臨床検査薬協会法規委員会委員長就任


ヒトマイクロバイオーム研究の産業応用促進に向けた協調的連携
Pre-competitive collaborations for acceleration of industrial application of Human Microbiome Research

寺内 淳
一般社団法人 日本マイクロバイオームコンソーシアム/小野薬品工業株式会社

 我々ヒトの健康や疾患との関わりが次々と明らかになっているマイクロバイオームは,現在,科学的のみならず,産業界からも大きな注目を浴びており,新たなイノベーション創出の源泉となることが期待されている.一方,日本人のマイクロバイオームは欧米人とは異なる特徴を有していることが明らかになっている点を踏まえると,日本人のデータを様々な健康医療情報と合わせて取得し,解析することが日本国内での産業応用には重要となる.また,発酵食品や海苔などの海産物を多く摂取する日本人は,平均寿命の長いということもあり,日本人のデータ解析から,長寿あるいは健康維持との関連などが得られた場合は国際的に競争力のある製品の創出に繋がることも期待できる.その期待を実現するための産業化の視点では,データの再現性など信頼できる基盤があることが大前提になる.そのためには産業化を見据えたプロトコルの標準化が極めて重要であり,そのためのバリデーションツールである標準物質の開発やバリデーションフローの整備が求められる.産業化に重要なプロトコルの標準化と日本人データの取得,そのリファレンスとして多くの産業における活用が期待できる健常人データベースの構築を目的に2017年4月に産業による一般社団法人日本マイクロバイオームコンソーシアムが設立された.本講演では,コンソーシアムの設立の経緯や目指す目的を紹介するともに企業間の協調的連携による活動内容や研究開発計画を報告する. また,マイクロバイオームデータの医薬品や食品等への応用例なども合わせて紹介し,将来の産業発展への期待にも言及したい.

1991年 京都大学工学研究科博士課程修了
1991年~2013年 武田薬品工業株式会社
2000年~2001年 米国ピッツバーグ大学博士研究員
2014年~ 小野薬品工業株式会社
2017年~ 日本マイクロバイオームコンソーシアム運営委員長
専門:創薬研究戦略,プロジェクト・ポートフォリオマネジメント,メディシナルケミストリー,有機合成化学,中枢神経系創薬研究
歴任:ヒューマンサイエンス振興財団理事,バイオ産業情報化コンソーシアム理事
製薬協研究開発委員会副委員長


生産的な創薬実現のための、ヒト血漿オミックスデータベースの構築
Establishment of plasma metabolome and proteome database in human for the promising drug development

安藤 智広
アクセリードドラッグディスカバリーパートナーズ株式会社

 製薬業界は確からしい創薬ターゲットの枯渇に直面している。これまでの創薬研究により、科学的、臨床的知見が豊富なターゲットの多くが開発された。しかし、依然として治療法が求められる疾患は多々あり、それらのために、より不確かな治療コンセプトについて研究開発を進める必要がある。そして、これらの研究においては、研究初期でのヒトにおけるコンセプト検証が、その後の成功確率の向上やコストの軽減のために重要である。
 ヒトでの検証方法としては生検組織サンプルの分析や、iPS細胞の樹立等も考えられるが、最も実施が容易である研究の一つは、臨床体液サンプルのオミクス分析である。特に、生理現象の結果産物であるメタボロームは表現型に近く、これまで臨床研究の中心であったゲノム、トランスクリプトームとの組み合わせにより、幅広く生体内での現象を捉えられる事が期待される。しかし、メタボロームは表現型に近いがために、多様な背景要因、遺伝子、性別、年齢、環境等にも影響され得る。このため、コントロールが難しいヒト被験者から得られたメタボロームデータの解釈には、目的外の背景要因による変動との区別のためのベースラインデータが不可欠である。
 これまでに、メタボロミクスの有力なプラットフォームの一つである質量分析により、ヒト血漿を中心としたサンプル中安定性、健常人における摂食応答等のベースラインデータを収集してきた。得られたデータは従来報告されていた生体における代表的な応答を含み、データ解釈のリファレンスとなる事が確認された。一方で、治療コンセプト検証の中心となるであろう病態研究では、疾患の結果である症状というバイアスの下、発症メカニズムや治療標的の確認も求められる。このため、健常人だけでなく疾患患者も含むベースラインデータが創薬研究に必要となるだろう。

2004年 東京工業大学生命理工学部卒業
2009年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程終了
2009年 武田薬品工業株式会社
2017年 アクセリードドラッグディスカバリーパートナーズ株式会社 主席研究員


CIBERの紹介
Introduction of CIBER

古田 耕
神奈川県立がんセンター 医療技術部/CIBER

 日本のバイオバンク分野には膨大なお金が注ぎ込まれているが、国民の福利に直結する民間によるバイオバンクの試料や付随情報の利用が充分におこなわれておらず、バイオバンクの利活用によってもたらされるであろう知財の創造にまでつながりにくいという状況にある。このような状況に危機感をいだき、JASISセミナーでは過去2回にわたり、バイオバンク利用者の目線からの議論を展開してきた。この議論の中から利用者による利用者のための利用者によるバイオバンクに関するネットワークを構築することで有志による合意が成立した。この合意にもとづき、2017年7月にCIBER(日本生物資源産業利用協議会:Council for Industrial use of Biological and Environmental Repositories)を創設した。CIBERの大きな柱は、国際連携を基盤においたバイオバンクの利活用である。北米やヨーロッパ間だけでなく開発途上国を含む国際連携を念頭においている。この大きな柱をささえる小さな柱としてA. 標準化、B. Precompetitive Center、C. 標準品・reference materialの整備、D. Microbiome基盤整備の4つを考えている。セミナーでは、CIBERが現在までに達成したこと、今後達成するであろう事項について解説する。

九州大学医学部卒業(1982)/医学博士(1992)
2015年7月より神奈川県立がんセンター医療技術部部長
ISO/TC276 Expert (WG2; Biobanking and Resources)
ISO/TC212 WG1 & WG4 Expert (Clinical laboratory testing and in vitro diagnostic test systems)
ISBER Special Service Award, 2015 & 2018